母を看取った娘「い」様の語り

肺がんの夫を妻が看取った語り

 体力はあったので手術も可能だといわれたが、年齢上、手術はしたくなかった。余市に在住の母が、肝がんでの入院時に、床擦れをしているのを見つけて札幌の家に連れ帰った。病院は「少し良くなったら帰れます」を繰り返していたので、帰っても良いといわれると母は病気が良くなったと思ってしまつた。病院は何もしてくれなかったし、余命についても何もいわれなかった。だから、本人はもっと長生きすると思っていた。

 症状は人によってそれぞれなので、家族にははっきり言ってくれないとわからない。プロの言い方で言葉を濁されると、家族というのは何でも良い方にとるので、結局ちゃんと理解ができない。システムがわかれば不合理だと思っても納得できる、きちっと説明してほしかった。結局在宅に関しては私が住んでいる区の方が全部手続き等はやってくれて、最初の介護度は二だった。支援を頼める在宅医の先生も紹介してくれた。私の場合はケアマネージャーさんとの繋がり、支援病院との関係、役所の手続き、全ての連携プレーが非常にうまくいったケースだと専門の方に言われた。在宅療養に関しては皆良い人たちに出会えた。母が良い人生を過ごしてきたからではないかと思う。人に振舞うことが好きな母で、自分もそれを母から学んだ。普段から夫が母に大変優しい言葉をいつもかけてくれていたので、母は私の家に来ることを望んでいたし、在宅に関しては「ここにいたい」といってくれた。母は無理を言わない性格で、夫も母に合わせて行動してくれる人だったので。私は五人兄弟の長女で下三人は農家で忙しく、兄は釧路 自分が面倒を見るしかなかったと思う。

 介護に関する本とかは読んでいない。在宅に移行するまで時間もなかったので、インターネットの検索をする時間がなかった。介護保険の利用だけで介護は十分で、足りない部分はなかったが、介護用品はレンタルしたり、購入したりした。特に床擦れになりにくいというので、エアーの一番いいウォーターベットを購入した。自分の力で起きられなくなっていたので、定期的に自動で体位を代えてくれるベットだった。つかまる手すりを二本、お風呂のイス等、看護師さんから便利なものの情報を聞き、お店に見に行って揃えた。ドライシャンプーなども買った。

 介護のこつに関しては、朝起きたときから九時頃までは戦争のようで、食事の用意やトイレ掃除、家族の手伝いがなければ無理だった。例えばサロンパスをはがす時、時間がかかるが、くるくる回してはがすと、皮膚を傷めないで出来る。ちょっとしたことだが、毎日のことなので。水はこぼれても大丈夫なコップで飲ませた。女性なので必ずトイレの介護が必要でディスポーザルの手袋を使っていた。想像できないことが起こるので目を離せなかった。例えばベットの柵の間から落ちそうになるとか。あめとか、口が渇くというのでスプレーで水をかけてあげたりした。歯を磨けないため清拭するものを用意した。いつも、どうしたらもっと快適になるのかを工夫した。例えばなにかあつたらブザーを鳴らすようにということで、枕元に呼び出しブザーを設置した。夫がラジオでも何でも、枕元から有線でスイッチを入れられるようにしてくれたので母は何も不便はなかった。

 トイレは階段の下にあるので動けるうちは支えて連れて行き、最後はおむつになった。食べるのはほんの少しであったが、それでも最後までおかゆを作って食べさせていた。焼いたパンをもらい、それをなめさせたりした。血管がボロボロになり、口の中に血がにじむようになった。

 痛みの対応のために週三回看護師、週一回医師が来てくれた。我慢強い人だったので初めは傷みに耐えていたが、最後の四、五日は麻薬系のパッチを貼った。麻薬系のパッチを使用することは兄弟の許可を得、「始めようか」と皆で決めて開始した。最初は半分の量を貼るように言われ、覚悟がついた。使い方は医師が指導してくれた。薬局で取り寄せてもらい使用し、残りは薬局に返した。昏睡状態になったこともあったが、逆にぱっと元気になることもあった。何かあったら連絡を、といわれていたが、結局医師に連絡したことはなかった。

 臨死期に関しては、最後までまさか逝くとは思わなかった。先生からは本人が行きたいところがあったら連れて行くように言われた。ただ、もしその途中で何か起きても、必ずここに連れ帰るようにいわれた。亡くなった時の、警察の問題があるので、途中で別の病院に寄らないように言われた。

 最後は、朝おはようといったらもう息をしていなかった。

 誰かに助けを求めたことはない。でも一人では物事をかかえない性格なので、困ったら誰かに連絡をしたと思う。床擦れがなく介護ができて満足だったし、介護は最後まで楽しかった。

 母が一人で住んでいた家の近くには、弟がいるので、残された母の家や畑は彼が相続し、墓守もしてもらっている。葬儀も母の家の方でやることになっていたので、死後すぐに弟が遺体を迎えに来た。喪主は弟がやった。

 これからのことに関しては、病気によるが夫は自分で看取りたい。しかし自分となると娘は仕事をしているので自宅での看取りは無理だと思う。娘は我が家から歩いて七分のところに家を建てているし、その夫も次男なので「お母さんの面倒を見るから」といってくれている。

介護語り、看取り語りの影法師 (背景となる知識を参考図書から説明します)

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